2010年4月15日木曜日

海龍王寺



隅寺と呼ばれる、平城宮の鬼門を守る海龍王寺の受付のお手伝いをさせていただきました。
いつもこちらにお伺いして、ぽっかりとした静かな境内を眺めていると、忙しさの中に忘れていた自分自身の時間の流れをとり戻すことが出来ます。

この海龍王寺では、嵐の中、唐より無事に帰国を果たした玄昉が初代住持となったことから遣唐使の航海安全祈願を営むと同時に平城京内道場の役割を果たすことにもなり、玄昉が唐より持ち帰った経典の書写(写経)も盛んに行われました。

天平時代に遣唐使として中国に渡っていた玄昉が、天平六年(734年)十月仏教の経典を網羅した一切経五千余巻と経典に基づいた新しい仏法との二つを携えて中国の港を出発しましたが、航海の途中に東シナ海で暴風雨に襲われ四隻の船団のうち、玄昉が乗った舟だけがかろうじて種子島に漂着することができ、翌年三月、無事に奈良の都に帰朝することができました。このとき、玄昉の乗船に収められていた一切経の中に「海龍王経」といわれる経典が蔵経されており、狂乱怒涛の中、この経典を一心に唱えたことで仏法を守護する善神である海龍王が、我が国に一切経と仏法とを無事にもたらせるために玄昉の船を護ったのだと人々に信じられ、これ以降、渡海安全祈願、しいては四海の安全が祈願されています。




現在でも4月中頃に行われる四海安穏祈願法要では、世界各地から集められた海水を前に、石川住職による法要が執り行われます。世界中の海の水が清らかになりますように。戦争や公害で汚れた地球が、少しでも清らかになりますように。そんな住職の想いが伝わってきます。
そして春季・秋季の特別拝観では、このお寺で修業した空海の直筆の見事な般若心経が残されており、実際に拝観させていただけます。鎌倉時代当時の彩色がそのまま残る、ご本尊の十一面観音様も本当に素敵です。是非ご覧ください!

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