2011年3月22日火曜日

スイス原発廃止の声と原発で日々労働している人たちが置かれている事実

下記、お世話になっている陽・紫空雲舎/ラシクウシャさんのHPからの抜粋です。

http://rashikuushya.blog.shinobi.jp/Entry/173/

このような話は、実際に原発の現地にて働いたことのある知人からも聞いておりました。
この知人の話によると、そのときには作業の前に何時間も原発について絶対安全だと説明を受けたようです。作業時間は、ほんの数分。その間、永遠のような沈黙と異常な感覚を体験したそうです。


この機に、考えてみませんか?


スイスで「原発廃止を」87% スイス紙世論調査

【ジュネーブ共同】20日付のスイス紙ル・マタンは、福島第1原発事故を受けた世論調査を掲載、将来的にスイス国内の原発廃止を望む意見が87%に達した。2009年の調査では73%が「原発は必要」と答えていた。

 スイス国内では原発5基が稼働中。このうち稼働から約40年が経過する2基に関しては、62%が「閉鎖すべきだ」としている。調査は17~19日、約500人を対象に行われた。

2011/03/21 05:42 共同通信


今日本でそうした調査をしたらスイス以上の原発廃止の意見が聞かれると思います。
以下の文章は原発で働かれていた人たちを取材し続けられた報告書です。

原発がこの世にある限り、健康を害する原発での仕事をし続ける悲しくてつらい思いをする人たちを増やし続けます。

今まで電気を供給してくれた原発と、働いてくださっていた方たちに心から感謝して原発に別れを告げたいと思います。

エコでみんながささやかな幸せを喜びあえる社会になりますよう、心から祈ります。


http://www.jca.apc.org/mihama/rosai/elmundo030608.htm

エル・ムンド[EL MUNDO:スペインの新聞 ]2003.6.8

調査報告/原子力発電所における秘密

日本の原発奴隷



 日本の企業は、原子力発電所の清掃のために生活困窮者を募っている。 多くが癌で亡くなっている。クロニカ〔本紙〕は、このとんでもないスキャンダルの主人公達から話を聞いた。

DAVID JIMENEZ 東京特派員
 福島第一原発には、常に、もう失うものを何も持たない者達のための仕事がある。松下さんが、東京公園で、住居としていた4つのダンボールの間で眠ってい た時、二人の男が彼に近づき、その仕事の話を持ちかけた。特別な能力は何も必要なく、前回の工場労働者の仕事の倍額が支払われ、48時間で戻って来られ る。2日後、この破産した元重役と、他10名のホームレスは、首都から北へ200kmに位置する発電所に運ばれ、清掃人として登録された。
 「何の清掃人だ?」誰かが尋ねた。監督が、特別な服を配り、円筒状の巨大な鉄の部屋に彼らを連れて行った。30度から50度の間で変化する内部の温度 と、湿気のせいで、労働者達は、3分ごとに外へ息をしに出なければならなかった。放射線測定器は最大値をはるかに超えていたため、故障しているに違いない と彼らは考えた。一人、また一人と、男達は顔を覆っていたマスクを外した。「めがねのガラスが曇って、視界が悪かったんだ。時間内に仕事を終えないと、支 払いはされないことになっていた」。53歳の松下さんは回想する。「仲間の一人が近づいてきて言ったんだ。俺達は原子炉の中にいるって」。
 この福島原発訪問の3年後、東京の新宿公園のホームレスたちに対して、黄ばんだ張り紙が、原子力発電所に行かないようにと警告を発している。“仕事を受 けるな。殺されるぞ”。彼らの多くにとっては、この警告は遅すぎる。日本の原子力発電所における最も危険な仕事のために、下請け労働者、ホームレス、非行 少年、放浪者や貧困者を募ることは、30年以上もの間、習慣的に行われてきた。そして、今日も続いている。慶応大学の物理学教授、藤田祐幸氏の調査による と、この間、700人から1000人の下請け労働者が亡くなり、さらに何千人もが癌にかかっている。

完全な秘密
 原発奴隷は、日本で最も良く守られている秘密の一つである。いくつかの国内最大企業と、おそるべきマフィア、やくざが拘わる慣行について知る人はほとん どいない。やくざは、電力会社のために労働者を探し、選抜し、契約することを請負っている。「やくざが原発親方となるケースが相当数あります。日当は約3 万円が相場なのに、彼等がそのうちの2万円をピンハネしている。労働者は危険作業とピンハネの二重の差別に泣いている」と写真家樋口健二氏は説明する。彼 は、30年間、日本の下請け労働者を調査し、写真で記録している。
 樋口氏と藤田教授は、下請け労働者が常に出入りする場所を何度も訪れて回り、彼らに危険を警告し、彼らの問題を裁判所に持ち込むよう促している。樋口氏 はカメラによって―彼は当レポートの写真の撮影者である―、藤田氏は、彼の放射能研究によって、日本政府、エネルギーの多国籍企業、そして、人材募集網に 挑んでいる。彼らの意図は、70年代に静かに始まり、原発が、その操業のために、生活困窮者との契約に完全に依存するに至るまで拡大した悪習にブレーキを かけることである。「日本は近代化の進んだ、日の昇る場所です。しかし、この人々にとっては地獄であるということも、世界は知るべきなのです。」と樋口氏 は語る。
 日本は、第二次世界大戦後の廃墟の中から、世界で最も発達した先進技術社会へと移るにあたって、20世紀で最も目覚しい変革をとげた。その変化は、かなりの電力需要をもたらし、日本の国を、世界有数の原子力エネルギー依存国に変えた。
 常に7万人以上が、全国9電力の発電所と52の原子炉で働いている。発電所は、技術職には自社の従業員を雇用しているが、従業員の90%以上が、社会で 最も恵まれない層に属する、一時雇用の、知識を持たない労働者である。下請け労働者は、最も危険な仕事のために別に分けられる。原子炉の清掃から、漏出が 起きた時の汚染の除去、つまり、技術者が決して近づかない、そこでの修理の仕事まで。
 嶋橋伸之さんは、1994年に亡くなるまでの8年近くの間、そのような仕事に使われていた。その若者は横須賀の生まれで、高校を卒業して静岡浜岡原発で の仕事をもちかけられた。「何年もの間、私には何も見えておらず、自分の息子がどこで働いているのか知りませんでした。今、あの子の死は殺人であると分 かっています」。彼の母、美智子さんはそう嘆く。
 嶋橋夫妻は、伸之さんを消耗させ、2年の間病床で衰弱させ、耐え難い痛みの中で命を終えさせた、その血液と骨の癌の責任を、発電所に負わせるための労災認定の闘いに勝った、最初の家族である。彼は29歳で亡くなった。
 原子力産業における初期の悪習の発覚後も、貧困者の募集が止むことはなかった。誰の代行か分からない男達が、頻繁に、東京、横浜などの都市を巡って、働 き口を提供して回る。そこに潜む危険を隠し、ホームレスたちを騙している。発電所は、少なくとも、毎年5000人の一時雇用労働者を必要としており、藤田 教授は、少なくともその半分は下請け労働者であると考える。
 最近まで、日本の街では生活困窮者は珍しかった。今日、彼らを見かけないことはほとんどない。原発は余剰労働力を当てにしている。日本は、12年間経済 不況の中にあり、何千人もの給与所得者を路上に送り出し、一人あたり所得において、世界3大富裕国の一つに位置付けたその経済的奇跡のモデルを疑わしいも のにしている。多くの失業者が、家族を養えない屈辱に耐え兼ねて、毎年自ら命を絶つ3万人の一員となる。そうでない者はホームレスとなり、公園をさまよ い、自分を捨てた社会の輪との接触を失う。

“原発ジプシー”
 原発で働くことを受け入れた労働者たちは、原発ジプシーとして知ら れるようになる。その名は、原発から原発へと、病気になるまで、さらにひどい場合、見捨てられて死ぬまで、仕事を求めて回る放浪生活を指している。「貧困 者の契約は、政府の黙認があるからこそ可能になります」。人権に関する海外の賞の受賞者である樋口健二氏は嘆く。
 日本の当局は、一人の人間が一年に受けることが可能である放射線の量を50mSvと定めている。大部分の国が定めている、5年間で100 mSvの値を大きく超えている。理論上、原子力発電所を運営する会社は、最大値の放射線を浴びるまでホームレスを雇用し、その後、「彼らの健康のために」 解雇し、ふたたび彼らを路上へ送り出す。現実は、その同じ労働者が、数日後、もしくは数ヵ月後、偽名でふたたび契約されている。そういうわけで、約10年 間、雇用者の多くが、許容値の何百倍もの放射線にさらされている説明がつくのである。


長尾光明、78歳、多発性骨髄腫に罹患。東電・福島第一原発で働いた自分の写真を抱える/ 撮影:樋口健二

  長尾光明さんは、雇用先での仕事の際に撮られた写真をまだ持っている。写真では、彼は、常に着用するわけではなかった防護服を着ている。病気になる前、5 年間働いた東電・福島第一原発で、汚染除去の作業を始める数分前にとった写真である。78歳、原発ジプシーの間で最も多い病気である骨の癌の克服に励んで 5年を経た今、長尾さんは、原発を運営する会社と日本政府を訴えることに決めた。興味深いことに、彼は、契約されたホームレスの一人ではなく、監督として 彼らを指揮する立場にあった。「大企業が拘わる仕事では、何も悪い事態が起こるはずはないと考えられてきました。しかし、これらの企業が、その威信を利用 し、人々を騙し、人が毒される危険な仕事に人々を募っているのです」と長尾さんは痛烈に批判する。彼は、許容値を超える大量の放射線にさらされてきたた め、歩行が困難となっている。
 30年以上の間、樋口健二氏は、何十人もの原発の犠牲者の話を聞き、彼らの病を記録してきた。彼らの多くが瀕死の状態で、死ぬ前に病床で衰弱していく様 子を見てきた。おそらくそれ故、不幸な人々の苦しみを間近で見てきたが故に、調査員となった写真家は、間接的にホームレスと契約している多国籍企業の名を 挙げることに労を感じないのだ。東京の自宅の事務所に座り、紙を取り出し、書き始める。「パナソニック、日立、東芝…」。

広島と長崎
 企業は、他の業者を通してホームレスと下請け契約をする。労働者の生まれや健康状態などを追跡する義務を企業が負わずにすむシステムの中で、それは行わ れている。日本で起こっている事態の最大の矛盾は、原子力を誤って用いた結果について世界中で最も良く知っている社会の中で、ほとんど何の抗議も受けず に、この悪習が生じているということである。1945年8月6日、アメリカ合衆国は、その時まで無名であった広島市に原子爆弾を投下し、一瞬にして5万人 の命が失なわれた。さらに15万人が、翌5年間に、放射線が原因で亡くなった。数日後、長崎への第二の爆弾投下により、ヒロシマが繰り返された。
 あの原子爆弾の影響と、原発の下請け労働者が浴びた放射線に基づいて、ある研究が明らかにしたところによると、日本の原発に雇用された路上の労働者1万 人につき17人は、“100%”癌で亡くなる可能性がある。さらに多くが、同じ運命をたどる“可能性が大いにあり”、さらに数百人が、癌にかかる可能性が ある。70年代以来、30万人以上の一時雇用労働者が日本の原発に募られてきたことを考えると、藤田教授と樋口氏は同じ質問をせざるをえない。「何人の犠 牲者がこの間亡くなっただろうか。どれだけの人が、抗議もできずに死に瀕しているだろうか。裕福な日本社会が消費するエネルギーが、貧困者の犠牲に依存し ているということが、いつまで許されるのだろうか」。
 政府と企業は、誰も原発で働くことを義務付けてはおらず、また、どの雇用者も好きな時に立ち去ることができる、と確認することで、自己弁護をする。日本 の労働省の広報官は、ついに次のように言った。「人々を放射線にさらす仕事があるが、電力供給を維持するには必要な仕事である」。
 ホームレスは、間違いなく、そのような仕事に就く覚悟ができている。原子炉の掃除や、放射能漏れが起こった地域の汚染除去の仕事をすれば、一日で、建築 作業の日当の倍が支払われる。いずれにせよ、建築作業には、彼らの働き口はめったにない。大部分が、新しい職のおかげで、社会に復帰し、さらには家族のも とに帰ることを夢見る。一旦原発に入るとすぐ、数日後には使い捨てられる運命にあることに気づくのである。
 多くの犠牲者の証言によると、通常、危険地帯には放射線測定器を持って近づくが、測定器は常に監督によって操作されている。時には、大量の放射線を浴び たことを知られ、他の労働者に替えられることを怖れて、ホームレス自身がその状況を隠すことがあっても不思議ではない。「放射線量が高くても、働けなくな ることを怖れて、誰も口を開かないよ」。斉藤さんはそう話す。彼は、「原発でいろんな仕事」をしたことを認める、東京、上野公園のホームレスの一人であ る。




原子炉の内部。下請け労働者のグループが日本の原子炉内部で働く。彼らのうち何名かは原発奴隷である。彼らは、何らかの技術的知識が与えられることはなく、国際協定で認めら れた最大値の1万7000倍の放射線を浴びている/撮影:樋口健二

  原発で働く訓練と知識が欠如しているため、頻繁に事故が起きる。そのような事故は、従業員が適切な指導をうけていれば防げたであろう。「誰も気にしていな いようです。彼らが選ばれたのは、もしある日仕事から戻らなくても、彼らのことを尋ねる人など誰もいないからなのです。」と樋口氏は言う。一時雇用者が、 原発の医療施設や近くの病院に病気を相談すれば、医者は組織的に、患者が浴びた放射線量を隠し、“適性”の保証つきで患者を再び仕事に送り出す。絶望した ホームレスたちは、昼はある原発で、夜は別の原発で働くようになる。
 この2年間、ほとんど常に藤田、樋口両氏のおかげで、病人の中には説明を求め始めた者達もいる。それは抗議ではないが、多くの者にとっての選択肢であ る。村居国雄さんと梅田隆介さん、何度も契約した末重病にかかった二人の原発奴隷は、雇用補助の会社を経営するヤクザのグループから、おそらく、殺すと脅 されたために、それぞれの訴訟を取り下げざるをえなかった。

毎日の輸血
 大内久さんは、1999年、日本に警告を放った放射線漏れが起きた時、東海村原発の燃料処理施設にいた3人の労働者の一人である。その従業員は、許容値の1万7000倍の放射線を浴びた。毎日輸血をし、皮膚移植を行ったが、83日後に病院で亡くなった。
 労働省は、国内すべての施設について大規模な調査を行ったが、原発の責任者はその24時間前に警告を受けており、多くの施設は不正を隠すことが可能で あった。そうであっても、国内17の原発のうち、検査を通ったのはたったの2つであった。残りについては、最大25の違反が検出された。その中には、労働 者の知識不足、従業員を放射線にさらすことについての管理体制の欠如、法定最低限の医師による検査の不履行なども含まれた。その時からも、ホームレスの募 集は続いている。
 松下さんと他10名のホームレスが連れて行かれた福島原発は、路上の労働者と契約する組織的方法について、何度も告発されている。慶応大学の藤田祐幸教 授は、1999年、原発の責任者が、原子炉の一つを覆っていたシュラウドを交換するために、1000人を募集したことを確認している。福島原発での経験か ら3年後、松下さんは、「さらに2、3の仕事」を受けたことを認めている。その代わり、彼に残っていた唯一のものを失った。健康である。2、3ヶ月前から 髪が抜け始めた。それから吐き気、それから、退廃的な病気の兆候が現れ始めた。「ゆっくりした死が待っているそうだ。」と彼は言う。

                         * * * * *
 この新聞は、インタビューを受けられた樋口健二氏より提供された。記事の訳内容の一部は、樋口氏によって訂正されている。なお、原文では、写真は全てカラーで掲載。
訳責:美浜の会

2011年3月21日月曜日

0325_東北関東大震災チャリティーイベント開催のご案内

藤本隆子様の呼びかけで、東北関東大震災チャリティーイベントに参加させて頂けることとなりました。

いま、自分自身に何ができるのか、、、

被災者の方は、目の前で家族を失い、
悲痛の思いを抱きながら過酷な環境で避難生活をされています。
作業員の命の犠牲のもと運営されている原発により成り立っているこの日本社会は、 このままでよいのでしょうか?
地球の裏側では、リビアへの軍事介入が始まりました。
餓えに苦しむ国では、相変わらず3秒に1人、餓死のため幼い命がなくなっています。

世界と宇宙に祈りの渦と光を広めることができますよう…
もしご都合がよろしければ、是非お力をお借り頂けましたら幸いです!



東北関東大震災被災地支援イベント


場所:竹林院群芳園 「親隣の間」
〒639-3115奈良県吉野郡吉野町大字吉野山2142 

TEL:0746-32-8081

日時:3月25日(金)

午前の部:10時半〜12時
武道セミナー「生き延びる」
アメリカ・日本・オーストラリア人武道家による「自然との調和」「生存戦略」「心身のバランス」などをテーマにしたセミナーと演武(一部通訳付き)
         
午後の部:13時半〜14時半
笙演奏 いのりのおとたま
宇宙に通じる音とも言われる雅楽の「笙」の演奏とともに、私たちの祈りを届けます。


義援金募集のイベントにつき、任意の金額を会場設置の募金箱に入れてご参加下さい。
竹林院群芳園より日本赤十字社を通じ被災地への送金となります。

詳細は 竹林院群芳園(0746-32-8081)まで



出演者プロフィール

ウェイン ゴルスキー(Wayne Gorski)
大学、大学院では人類学専攻。米軍緊急即応チーム、ベトナム戦特殊部隊も経験。
空手、柔術、棒術、合気道などあらゆる武術をこなしモンタナ州警察では逮捕術護身術の訓練指導職を長年勤める。自然との調和を何より重んじる。太極拳指導。

山田清隆(やまだきよたか)
沖縄剛柔流空手道と琉球古武道を、沖縄の比嘉世幸の弟子福元英吉先生から習い、四段を取得。sanzinsooのハンドルネームで自己のサイバー道場をネット上で開設。空手に関する歴史文献の翻訳を続け、世界中からアクセスがある。介護福祉士。

デイモン ラッセル(Damon Russell)
日本滞在期間中に武道にめざめ母国オーストラリアでカンフーを学ぶ。日本の武道の精神哲学を研究するため福井県で禅宗僧として過ごす。武道歴25年。日常の生活で誰もが取り入れることの出来るバランスや柔軟性が心身の健康を保つと言う。

井原季子(いはらときこ)
国内外を巡礼し、日本文化の民族性・精神性のルーツを探求する中で、高野山丹生都比売神社にて巫女舞の修練中、笙と出会う。雅楽翠篁会にて豊英秋氏、中祥元氏に師事。各地奉納演奏や様々なアーティストとの合奏も行う。

2011年3月16日水曜日

東北関東大震災および福島原子力発電所事故について感じること



まずはこの度の大地震にて、

皆様のご家族・お知り合いの方のご無事をお祈り申し上げます。

そして犠牲となられた数多くの貴重な魂に、
心からのご冥福をお祈り申し上げます。

また被災された方々、いまだに援助を待つ方々、
あるいは被爆されながら作業していただいている方の、
一刻も早い安全とやすらぎを心よりお祈りいたします。

過酷な環境下において、
復旧・復興にむけて活躍されている方々に深く感謝いたします。

これ以上の災害が起こりませんように
少しでも被害が最小限にとどまりますように。


多くの方々の犠牲・悲しみから学んだことを充分に活かし、
残された私達が責任をもって
素晴らしい未来へと好転させることができますように。

私達の生活にとって本当に必要なものは何か、
真実の社会の在り方、
国民ひとりひとりが深く考えるべき機会ではないでしょうか?


様々な情報が行き交い、
何もできずに不安と苛立ちが募るばかりの日々、
自分ができること・すべきことは何か、と考えます。
無力さが身にしみます。


この地球上すべてのいきものに幸あらんことを
心よりお祈り申し上げます。


ひかりとともに



東北関東大震災 義援金について

日本赤十字社 https://gienkin.jrc.or.jp/

中央共同募金会 http://blogs.yahoo.co.jp/kyodobokin

日本財団 https://www.canpan.biz/products/detail.php?product_id=358


■原発がどんなものか知ってほしい
http://www.iam-t.jp/HIRAI/pageall.html#page5

筆者「平井憲夫さん」について:
1997年1月逝去。
1級プラント配管技能士、原発事故調査国民会議顧問、原発被曝労働者救済センター代表、北陸電力能登(現・志賀)原発差し止め裁判原告特別補佐人、東北電力女川原発差し止め裁判原告特別補佐人、福島第2原発3号機運転差し止め訴訟原告証人。


写真は、イギリスのサイト「Mail Online」に
自衛隊員が4ヶ月の赤ちゃんを救出したという内容で掲載されたものです。
被災地に向けて、色々な企業からの寄付や支援も準備されているようです。

一日も早く復旧作業がすすみますように!
ひとりでも多くのいのちが助かり、たくさんの笑顔と明るいニュースがあふれますように!!