671年4月25日、天智天皇の御在世10年、近江大津宮(今の近江神宮付近)に初めて漏刻台(水時計)を設け、あまねく国民に時を知らされたことは、日本書紀に「漏刻(ときのきざみ)を新台に置きて始めて候時(とき)を打ち鐘鼓をならす。始めて漏刻を用ふ。この漏刻は天皇の皇太子にまします時に始めてみづからつくりたまふ所なり」と伝えられています。
671年の太陰暦4月25日は、太陽暦では6月10日。 天智天皇をまつる滋賀県大津市の近江神宮では、毎年この日を時の記念日として"漏刻祭"が行われます。
中大兄皇子は、667年に都を近江大津宮に定め、翌668年に即位して天智天皇となられました。 天智天皇は大化の改新を断行され、琵琶湖西岸の都にその完成を目指されました。日本最初の成文法憲法である「近江令」の制定・全国規模の戸籍の編纂・国立学校の創設をはじめ、後世に影響をあたえる多くの事業を行われました。また、漏刻による時刻制度が開始され、この大津は時刻制度発祥の地でもあるのです。
晴れ渡る蒼空のもと執り行われた漏刻祭では、数多い参列者の見守る中、春らしい装束の采女や神官が並び、舞楽が奉納されました。
そして祭りの後、暦や時刻に興味あるものが賛同、『時の祝祭』として、神社の暖かいご支援によりご奉納演奏をさせていただくことができました。
”時間の意識を変容させる伎楽”とされる雅楽を勉強する者として、とっても感慨深い一日となりました。思いがけないとっても素敵な方との再会の機も頂けました。勝手ながらこれまでの私の演奏の心の支えとさせて頂いた方です!!
(以下、引用)
大祭司は最初にこんな問題を出した。
「この世界のあらゆるものの中で、
もっとも長くまたもっとも短く、
もっとも迅速でまたもっとも遅く、
もっとも細かく分割できながらまたもっとも広大で、
もっともないがしろにされながらまたもっとも惜しまれ、
それがなければなに一つ行うことができず、
ちっぽけなものをすべて飲み尽くし、
偉大なものをすべてよみがえられるもの、
それはなにか」 ~略~
あるものは謎の答えは運だと言い、他の者はこの世だと言い、光だと言う者もいた。
ザディーグは、それは”時間”だと答えた。
「これほど長いものはありません」と、彼は付け加えた。
「なぜなら、それは永遠の尺度であるからです。
これほど短いものはありません。
なぜなら、われわれのあらゆる企てには
それが不足しているからです。
待つ者にとってそれほど遅いものはありませんし、
楽しむ者にとってそれほど速いものはありません。
拡大すれば無限にまで広がり、
縮小すれば限りなく分割されます。
すべての人がそれをないがしろにし、
それを失うとだれもが惜しみます。
それがなければなに一つ行われず、
それは後世に残すに値しないものをすべて忘れさせ、
偉大なものを不滅にします」
『カンディード 他五篇』 ヴォルテール作 植田祐次訳 岩波書店
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